埼玉大学 教育学部 教授 有川秀之氏
文部科学省の調査報告によれば、ここ数年、子どもの体力・運動能力は低下傾向がおさまり、一部の種目や年齢でやや向上の兆しが認められています。しかし、最も体力の高かった昭和60(1985)年頃に比べると依然として低い水準にあります。また、子どもの運動習慣における二極化傾向(運動をする子どもとしない子ども)が問題視され、体育の授業以外、ほとんど運動しない(1週間総運動時間60分未満)子どもの割合がかなり高いこと(令和元年度調査報告小学5年生男子7.6%、女子13.0%、中学2年生男子7.5%、女子19.7%)が指摘されています。
運動する目的の一つに、心身の健康のためという目的がありますが、運動の効果に関して、アメリカ・イリノイ大学のヒルマン博士の興味深い研究(Hillmanら2008)を紹介します。運動と学業成績との関連性について、イリノイ州の小学3年生と5年生216人を対象として調査した結果、体力(有酸素運動)と数学及びリーディング(リーディングとは英文読解のことで、日本国であれば国語読解にあたる)の成績に関係性を報告しています。その報告では、体力調査での成績が高い子どもほど、学業成績も優秀な傾向があることを報告しています。
また、近年、凶悪な少年犯罪が増えてきたことについて、自己の存在感の希薄化、それは、身体的な実感を失った子どもが多いことを指摘する声もあります。自分の身体に実感がもてなければ、他人の喜びや痛みに実感がもてるはずがありません。運動することによって、自分で小さな痛みを感じたり、相手とぶつかった時に痛みを感じたりすることで、自分の身体に実感が持つことができ、他人の喜びや痛みにも実感が持てるようになります。
ヒトは、生まれてから成人するまでの過程で、身長や組織器官が大きく成長していきますが、その成長具合を示したものが、有名なスキャモン(Scammon,R.E 1930)の発達曲線です。スキャモンは、異なる組織や器官の発育が、一般型(身長や体重、筋量や骨格など)、神経型(脳や神経系など)、生殖型(生殖器など)、リンパ型(リンパ節など)の4つの型にまとめられることを提案し、出生時から20歳までの全増加量に対する百分率で表しました。その中で、神経型に注目すると、おおよそ7歳までに95%までに到達し、それ以降は、安定した増加を示すと報告しています。そのため、子どもの早い時期から運動・スポーツを経験することにより、巧技的な運動が身につきやすくなります。さらに、その技に関する成功体験と、その技を身につけるまでに味わった失敗に関する経験が不可欠になり、忍耐力、社会性、思いやり、自尊心、自信など非認知的能力の発達も促すことになります。
運動・スポーツは、健康な、頑丈な身体の発達を促すだけでなく、自分と他人に考えを巡らせ、心身の健全なコントロールを蓄積させることによって、しなやかな心を育てて、社会性の習得にも大きく寄与すると考えられます。
幼児期運動指針ガイドブック(文部科学省2012)によると、幼児は様々な遊びを中心に、毎日、合計60分以上、楽しく体を動かすことが大切としています。日本だけでなく、アメリカ、カナダ、イギリス、中国などの国々も、毎日、合計60分以上、中等度から高強度の身体活動を推進しています。また、幼児期は、生涯にわたる運動全般の基本的な動きを身に付けやすく、体を動かす遊びを通して、動きが多様に獲得されるとともに、動きを繰り返し実施することによって、動き方が上手になる洗練化も図られるとしています。
幼児期における運動の意義として、?体力・運動能力の基礎を培う、?丈夫で健康な体になる、?意欲的に取り組む心が育まれる、?協調性やコミュニケーション能力が育つ、?認知的能力の発達にも効果がある、と報告しています。また、Boreham.C(2001)らは、「子ども時代の身体活動は、子ども時代の健康(体力)に貢献し、同様に大人時代の身体活動は、大人時代の健康(体力)に貢献するとしています。そして、子ども時代の身体活動や健康は、大人になってからの身体活動や健康に影響を及ぼす『持ち越し効果』がある」と報告しています。
幼児期は運動機能が急速に発達し、多様な動きを身に付けやすい時期で、タイミングよく動いたり、力の加減をコントールしたりするなどの運動を調整する能力が高まり普段の生活で必要な動きをはじめ、とっさの時に身を守る動きや将来的にスポーツに結びつく動きなど基本的な動きを多様に身に付けやすくなるとしています。そして、基本的な動きには、立つ、座る、寝ころぶ、起きる、回る、転がる、渡る、ぶら下がるなど「体のバランスをとる動き」や、歩く、走る、はねる、跳ぶ、登る、下りる、這う、よける、すべるなど「体を移動する動き」、持つ、運ぶ、投げる、捕る、転がす、蹴る、積む、こぐ、掘る、押す、引くなどの「用具などを操作する動き」があるとしています。
地域では、総合型地域スポーツクラブや、水泳、野球、サッカーやバスケットボールなど様々な種目のスポーツクラブがあります。その中で体操教室といわれるクラブでは、いわゆる器械運動(体操)を行っており、上記に記述した多くの基本的な動きが存在しています。器械運動(体操)は、マット、平均台、跳び箱、鉄棒などがあり、器械の特性に応じて多くの技があります。
マット運動・平均台運動は、前転、後転、側転、倒立などの技があり、逆さまになる感覚、回転感覚、体を丸める動き、体をそらせる動き、手で体を支える動き、手でジャンプする動きなどがあります。
跳び箱運動は、開脚跳び、かかえ込み跳び、台上前転などの技があり、手でジャンプする動き、手を使って何かを跳び越したり、とび乗ったりする動きなどがあります。
鉄棒運動は、逆上がり、前方・後方支持回転などの技があり、逆さまになって頭を振る感覚、回転感覚、手足やお腹でぶら下がる動き、棒の上で体を支える動きなどがあります。
器械運動(体操)で行う技は、日常ではあまり経験しない非日常的運動形態を多く含む巧技的な運動で、『できないこと』が『できるようになる』という「達成感」を味わわせるうえで、非常に都合のよい種目です。技を身に付けるには、基本的な動きや予備的な動きを身に付けたり、練習の場を工夫したりすることが必要になります。
したがって、器械運動(体操)を専門とする指導者や、施設や器具の場の設定、
さらに指導手順などのプログラムを持っていることが技の習得の近道と考えられます。
埼玉大学 教育学部 教授 有川秀之氏 経歴
氏 名有川秀之(ありかわ ひでゆき)生年月日 1960年5月15日
学 歴福岡県立明善高等学校(1979年3月)卒業
筑波大学体育専門学群(1983年3月)卒業
筑波大学大学院(1985年3月)修了(体育学修士)
職 歴福岡県立福岡中央高等学校教諭付
福岡県教育庁指導第一部体育課(1985年4月〜1992年3月まで)
埼玉大学講師教養部(1991年4月)、埼玉大学助教授教養部(1992年4月)、
埼玉大学助教授教育学部(1995年4月)、埼玉大学教授教育学部(2004年4月〜現在)
文部省在外研究員として英国(セントメリー大学)にて研究(1996年3月〜1997年1月)
埼玉大学教育学部附属小学校長併任(2014年4月〜2017年3月)
業 績「北京オリンピック男子4×100mリレー銅メダル獲得までの取り組み」
『スプリント&ハードル』,陸上競技社,第9章-1,169-174頁.2012
「子どもの走力の発達」『子どもと発育発達』(日本発育発達学会)Vol12(1),8-15頁.2014
競技役員オリンピック競技大会陸上競技日本代表役員(2000,2004,2008,2012)
世界陸上競技選手権大会日本代表役員(2001,2003,2005,2007,2011)